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水俣病 公害認定50年

水俣病公害認定50年 鹿児島県で1068人が認定申請中 南日本新聞 18.9.26

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 水俣病が1968年に公害認定されてから26日で50年となる。これまで幾度となく裁判や政治の場で解決が図られてきたが、救済を求める声はやまない。今も鹿児島県では1068人が認定を申請中。熊本と合わせ1000人以上が司法解決を求めている。被害者団体などは「半世紀経ても水俣病は終わっていない」と訴える。
 水俣病が公式確認されたのは56年。国が「チッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水が原因」として公害認定したのは12年後だった。その間、被害防止策がなされないまま、チッソはメチル水銀を含む排水を八代海に流し続け、新たな被害者を生んだ。
 鹿児島は出水市や長島町などで被害が広がり、県の水俣病認定者数はこれまでに493人を数える。最も多かったのは73年度の66人。平成以降はゼロの年が常態化し、近年では2015年度の1人が最後だ。

【ある役人と水俣病・公害認定50年】(1)原因究明に奔走した保健所長 「1年で片が付いたはず」 西日本新聞 18.9.23

1956年の水俣病公式確認当時、水俣保健所長だった伊藤蓮雄氏は、8ミリカメラや写真のネガを含む多くの水俣病関連の資料を自宅に残していた

 黄ばんだB5判のメモには、旧環境庁担当者らとの慌ただしいやりとりが手書きで記されていた。いずれも日付は1968年9月12日。水俣病が公害病と認定される2週間前に当たる。

 元熊本県衛生部長、伊藤蓮雄(はすお)(91年没、享年80)が自宅に残していた資料だ。56年の水俣病公式確認当時、伊藤は現地水俣の保健所長だった。医師でもある。

 資料を収めたファイルには、水俣病患者の公的扶助状況や障害の分類といった書類も含まれていた。長男隆一郎(74)は今夏、改めて資料を開いた。

 公害認定で政府は原因を「チッソ水俣工場の排水」と断定する。資料からは、政府の発表を長年待ち望み、協力した伊藤の姿が浮かび上がる。

 76年に県庁を退職するまで水俣病に深く関わった。未知の病に襲われた患者たちへの対応に奔走しながら、ごく初期にその原因にもたどり着いていた。

 隆一郎は、伊藤が繰り返した言葉を覚えている。

 「水俣病は、1年で片が付いたはずの問題だった」

     ∞∞

 56年5月1日。伊藤が所長を務める水俣保健所に、市内最大の医療機関だったチッソ付属病院の医師が駆け込んだ。「原因不明の脳疾患患者4人が入院しました」。後に水俣病の公式確認とされる出来事だ。

 伊藤は40代半ば。県衛生部に報告し、翌日には患者の自宅に職員を派遣する。月末には医師会、市立病院などと原因究明に当たる対策委員会を組織した。

 井戸水を調べても問題はなかった。では、伝染病か。8月、熊本大医学部に調査研究を依頼し、研究班が動きだしたが、患者の体内からはウイルスも細菌も見つからない。

 患者は漁村地区に集中していた。共通しているのは水俣湾産の魚介類を多食していること。当時、湾内では魚の死骸が浮き、漁業者たちの間で工場排水を疑う声が少なからずあった。

 伊藤は後に裁判でこう証言している。「疫学的な観点から、湾内の魚介類が原因であると思っていた」

     ∞∞

 疑いの目を向けられたチッソ水俣工場は、原因究明に協力するどころか、「工場排水に原因があるという証明がないので、会社に原因はない」と主張してはばからなかった。

 国や県庁もさまざまな思惑が絡み、動きは鈍かった。「1年で片が付いたはず」(伊藤)が、公害認定ですら公式確認から12年を費やすことになる。

 59年ごろ、伊藤や熊大研究班などの関係者が集まった会合の後に“事件”が起きる。出席した同工場の技術部長が、記者団に言い放った。「田舎の駅弁大学の教授が分かりもしないで」

 戦後設置された地方の国立大をやゆする「駅弁大学」と呼んで熊大を見下し、原因究明に尽くす医学部研究班を侮辱した。発言は熊大医学部OBでもある伊藤の胸に刻まれる。動物実験や聞き取りを通じて「工場が原因」との認識を深めていた伊藤は、この出来事を決して忘れなかった。

 68年の公害認定からほどなく、この技術部長が新任のチッソ水俣支社長として県庁を訪れた。知事室で迎えた伊藤は、知事の前で面罵(めんば)したという。「あなたは昔、何と言いましたか!」

 悔しさと憤り、なぜもっと早く-。水俣に9年勤務した保健所長として、患者の苦しみを間近で見てきただけに、言い尽くせぬ思いがあったのか。

 だが後年、県庁の幹部になった伊藤は、患者側から「変節した」と指摘されることになる。 =敬称略

      ×

 50年前の1968年9月26日、国は水俣病を公害と認定した。56年の公式確認から既に12年。海の汚染は広がり、人的被害は膨れ上がった。原因企業を取り締まり、住民を守る立場の行政は何をし、何をしなかったのか。「ある役人」の足跡をたどる。
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プロフィール

Author:寿
農業情報研究所(WAPIC)=http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/の所長・所員・小使いを兼務。原発事故で「明るい農業・農村」の夢を失った老い先短い老人です。

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