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誰が為にダム作る?長崎・石木ダム

長崎・石木ダム建設反対13世帯闘い半世紀「負けとうなかたい」(特報) 東京新聞 18.10.14 26-27


反対地権者らが控訴 石木ダム訴訟「地裁判決は門前払い」 長崎新聞 18.7.24

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業を巡り、反対地権者らが国に事業認定取り消しを求めた訴訟で、原告106人は23日、ダムの公益性を認め原告側の請求を棄却した長崎地裁判決を不服とし福岡高裁に控訴した。
 地裁判決(9日)は、原告のうち地権者以外の居住者らの訴えを「原告の適格性があるとは言えない」として却下。同市の水需要予測や県の治水計画のいずれも合理性を欠くとは言えないとし、事業は「地元住民の生命の安全に関わり、得られる利益は非常に大きい」と指摘。土地収用法に基づく強制収用に向けた手続きの一環として、事業認定した国土交通省九州地方整備局(九地整)の判断は適法と結論付けた。
 原告で地権者の炭谷猛さん(67)は「地裁判決は門前払いに近い。あらためてダムが不要とする私たちの主張の検討を求めたい」と話した。九地整は「控訴の事実を把握しておらずコメントできないが、引き続き国の主張を訴えることになる」としている。

見えない堰堤(かべ) 石木ダム訴訟判決・<下> 必要性浸透せず 迫る裁決 長崎新聞 18.7.11

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業を巡り、反対地権者らが国に事業認定取り消しを求めた訴訟。長崎地裁判決から一夜明けた10日、敗訴した反対地権者ら約50人が、同市役所に詰め掛けた。今後の方針を市にただすためだ。
 「お墨付きと言うつもりはないが、一定理解は得られたと考える」。応対した谷本薫治・水道局長の言葉には、市の水需要予測を司法が認めたことへの安堵(あんど)感がにじんだ。原告側弁護人が「裁判所は『不合理ではない』と言ったにすぎない」とかみついたが、谷本局長は「判決文(の表現)としては一般的と思う」とかわした。
 同市の利水などを目的とする石木ダム。だが当の市民にダムの必要性の理解が浸透しているとは言い難い。長崎新聞社が1月に県民500人を対象に実施したアンケート。同市民に限って見ると、石木ダム不要派(計47・4%)が必要派(計32・6%)を上回った。1994~95年に大渇水を経験した同市だが、2007年度を最後に給水制限はなく、「水不足」の記憶は薄れつつある。16年1月には記録的寒波で市内の水道管が破裂し、大規模な断水が発生。これが影響してか、同年に市が実施した市民アンケートでは「水の安定供給」に関する施策で「水源の確保」よりも「水道施設の更新・整備」を重視する人が多かった。石木ダム反対派の石木川まもり隊代表、松本美智恵さん(66)=同市=は「市民はダム建設より漏水対策を優先してほしいと思っている」と指摘する。
 こうした中、同市は広報誌で「佐世保の水事情と石木ダム」と題したシリーズ企画を6月号からスタート。朝長則男市長も5月号のコラムで石木ダム建設への理解を呼び掛けた。事業認定取り消し訴訟が起きた15年以降、同市のPRは自粛傾向にあったが、巻き返しへの思惑も透ける。
 一方、治水の恩恵を受ける川棚町。県内初の大雨特別警報が発表された6日、川棚川は一時、「氾濫注意水位」まで増水した。町民の女性は「最近は異常な豪雨が多く、ダムがあるに越したことはない」。一方で「反対住民の気持ちも分かるから」と声を潜める。日常会話で、デリケートなダムの話題を口にすることはほとんどない。
 現場では、反対派などが座り込みなどで抗議する中、付け替え道路の工事が少しずつ、しかし着実に進む。本体工事の着手時期は遅れているが、県は「22年度完成を目指す工程に変わりない」とする。「公共の利益」のため、住民は立ち退くべきなのか。多くの県民が答えを出せないまま、行政代執行への道を開く県収用委の裁決が迫る。

見えない堰堤(かべ) 石木ダム訴訟判決・<上> 古里守る「信念貫くだけ」 反対地権者 控訴へ 長崎新聞 18.7.10

 石木ダムは必要か否か-。長崎県と佐世保市、反対地権者らの間で平行線をたどる論争に、司法は9日、「必要」との判断を示した。長崎県と佐世保市は事業推進に意欲を示す一方、反対地権者らは「不当判決。立ち退く考えはない」として徹底抗戦の構えだ。双方の間には分厚い壁が立ちはだかり、ダムの完成は見通せない。
 裁判長が「請求棄却」を告げると、静まり返った法廷に深いため息がもれた。「住み慣れた古里を奪わないで」との願いを託した判決の言い渡しはわずか1分程度で終わり、原告らの訴えはことごとく退けられた。「不当判決」「納得できない」-。建設予定地の東彼川棚町川原(こうばる)地区の住民は一様に失望の声をもらし、「古里を湖底に沈めさせない」と固い決意を口にした。
 「今までどおり、信念を貫くだけ」。原告で地権者の炭谷猛さん(67)は長崎地裁を出るなり、そう言って自らを奮い立たせた。川原地区の総代を務め、家には200年以上前からの先祖の名が記された過去帳が伝わる。「生まれてから一度も住所変更をしたことがない」ことがささやかな自慢だった。ダムの必要性への疑問がぬぐえないまま、代々受け継いできた土地が強制収用される。「これが公共の利益の代償なのか」。意見陳述でこう訴えたが届かなかった。「あくまで司法判断。世論に訴えるため、これまでより声を大きくする」と唇を結んだ。
 判決後、原告らは長崎県庁に向かい、あらためて事業中止を求めた。「立ち退かないと言っている13世帯がいる。ダム完成のために強制的に排除するのか」。原告弁護団長の馬奈木昭雄弁護士(76)が詰め寄ったが、長崎県の担当職員は「明け渡してもらえるようにお願いしたい」と従来どおりの回答を繰り返した。
 原告のうち、土地の所有者ではない住民は「原告不適格」として却下された。岩下すみ子さん(69)もその一人。反対地権者の中心である和雄さん(71)に嫁いで約40年、川原地区に住む。「培われた歴史があるのに、訴える権利がないというのは血が通っていない。私たちを人間としてではなく虫けらのように扱っている」と憤った。
 同じく「不適格」とされた住民の石丸穂澄さん(35)も「生活の全てを否定されたみたい」と肩を落とした。5月に八ツ場ダム(群馬県長野原町)の代替地を視察。移転した住民のつながりが薄れ、地域が疲弊していくのを感じた。「代替地に移転すればコミュニティーの再現は可能」とする判決に「絶対不可能」と反論する。裁判官の現地視察があったことに「何を見たのだろう」ともらした。

 河川工学上は妥当/夛田彰秀長崎大学大学院教授(河川工学)の話

 河川工学の観点から妥当な判決と言える。ダムが持つ洪水調節などの機能が、住民の生命と安全に直結する点を裁判官が重視した。石木ダム事業の費用と効果を分析した上で、同事業の「公共の利益」が司法から認められた点は高く評価できる。

 行政に全面的追従/五十嵐敬喜法政大名誉教授(公共事業論)の話

 治水や利水について、判決で認めているダム事業の数値が、本当に正しいのか疑問が残る。佐世保市のこれまでの水需要予測と実績値には落差があり、同市の水需要予測が過大なのは明らかだ。行政に全面的に追従し、独立性を失った判決だ。

石木ダム事業認定取り消し訴訟 9日判決 必要性どう判断 治水、利水で対立 長崎新聞 18.7.8

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業を巡り、反対地権者ら計110人(提訴時)が国に事業認定取り消しを求めた行政訴訟の判決が9日、長崎地裁で言い渡される。ダムは必要か否か-。県、同市と反対地権者の間で平行線をたどってきた論争に、司法はどう判断を示すのか。争点を整理した。
       
 県と同市は、石木ダム建設の目的を、川棚川の治水と同市の利水だと主張。被告の国は公益性を認め、土地収用法に基づく事業認定を告示した。これに対し、建設予定地に住む13世帯の反対地権者らはいずれの点からもダムを建設する必要性がなく、13世帯の土地を強制収用するほどの公共性も欠くと訴えている。

 利水面での争点は、同市が2012年に立てた水需要予測(12年予測)と保有水源の妥当性だ。予測では、24年度の1日当たりの取水量は11万7千立方メートル。保有水源は7万7千立方メートルしかなく、不足分4万立方メートルを石木ダムで補う必要があるとしている。
 一方、原告側は「同市が水需要予測を過大に、保有水源を過小に評価している」と批判。原告側によると、人口減などで同市の給水量は右肩下がりで、現在は1日当たり8万立方メートル以下まで減少した。にもかかわらず急増と予測しているのは不合理で、佐世保重工業(SSK)の水需要増大や観光客の増加を見込む同市の説明にも根拠がないと指摘する。
 保有水源7万7千立方メートルにも疑問符を付ける。同市は慣行水利権で得られる2万2500立方メートルを、河川法の許可がない「不安定水源」とし保有水源から除外。河川法の成立前から継続利用していた水源からの取水を認める慣行水利権について、原告側は「不安定とは言えず、除外する合理性はない」と主張する。
 一方の被告側は、12年予測は合理的で、その手法を適切と認めた国の判断は間違っていないと強調。慣行水利権についても権利内容が不明確で、安定取水ができないため保有水源に含めないのは適当としている。
 治水面の争点は、県が策定した川棚川の治水計画の計画規模基本高水治水代替案-の是非だ。県の計画は、100年に1度の大雨で想定される河川への最大流量(毎秒1400立方メートル)にも対応できる治水を目指す。そのために石木ダムによる洪水調節が必要という。この「100年に1度」が計画規模、「毎秒1400立方メートル」が基本高水に当たる。
 原告側は、県が計画規模を決める際に用いた評価指標が全国的な基準とかけ離れ、評価指標の一つである氾濫面積の算出に川棚川の拡幅工事が施される前の古い河道データを採用しているとして問題視。基本高水も突出した降雨パターンを基に算出し、過大だと指摘する。仮にそうした事態が発生しても、河道改修をしてさえおけば治水の対応はできる、との見解だ。
 これに対し、被告側は計画規模と基本高水はいずれも基準に沿い、適正だと反論。他の治水代替案と比較しても、経済性など総合的にダム建設案が優位と結論づけている。
 訴訟について、原告団の一人で、地権者の岩下和雄さん(71)は「結局裁判でも納得できる反論は出ず、ダムが不要だとはっきりした」と話す。一方で、原告弁護団長の馬奈木昭雄弁護士(76)は行政訴訟の性格上、裁判所が「行政の広範な裁量」を理由に原告の主張を退ける可能性を懸念し、「そうなれば、行政は目的のために都合のいい数字を使っていいことになる」と強調する。
 事業認定した国土交通省九州地方整備局は「法廷で述べてきた主張が認められることを祈る」としている。

石木ダム建設事業
県と佐世保市が東彼川棚町岩屋郷の石木川一帯に計画。総貯水容量548万立方メートル。総事業費285億円。1972年に県が予備調査に着手し、75年に国が事業採択。2013年に国が土地収用法に基づく事業認定を告示した。県は16年5月までに、反対地権者13世帯の宅地を含む未買収地約12万6千平方メートルの明け渡し裁決を県収用委員会に申請。うち約5500平方メートルが裁決された。反対地権者らは事業認定取り消しを求め、15年11月に提訴した。

 

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八ツ場ダム周辺を歩く・2 変わるまち 思い交錯 長崎新聞 18.10.14

 群馬県長野原町の八ツ場ダム水没予定地で最後の住民だった高山彰さん(65)は8月、国が造成した代替地に新居を建てた。中はがらんとしていた。今は町外で、兄の世話をしながら暮らしているという。「かみさんや娘とは別居中だから、いずれ独りで住む」と淡々と話した。
 移転の対象となったのは川原畑川原湯横壁長野原-の5地区の470世帯。このうち堰堤(えんてい)に近い川原畑と川原湯は全域が水没し、反対運動が激しかったとされる。温泉街の川原湯では、生活基盤である温泉源が沈むのも重大な問題だった。

八ツ場ダム建設に伴う生活再建関連事業のイメージ図

 そこで群馬県は、ダム湖沿いの高台に代替宅地を造成し、地区ごとに移転する「現地再建(ずり上がり)方式」を提案。1985年、地元が合意したのをきっかけに反対運動は収束に向かった。

 高山さんは、ダム計画が持ち上がった52年の翌年に生まれ、川原畑で育った。賛否を巡って地域や家族が分断され、疲弊するのを目の当たりにした。自らは、半ば諦めていた。
 だが2009年に政権が民主党に変わり状況が一変した。当時の前原誠司国土交通相が建設中止を宣言すると、小さなまちは「政権交代の象徴」になった。押し寄せた報道陣の前で正直な気持ちを明かした。「ふるさとは親のようなもの。ダムに沈まなくなるのがうれしい」。ただ、すでに多くの人々が計画を受け入れていた。父親には「面白がるな」ととがめられ、娘には「周りの空気読んでよ」となじられた。
 結局、民主党は11年に中止方針を撤回。自公政権の復活後、国は土地の強制収用を可能にする事業認定を申請し、本体工事に着手した。未買収の土地はどんどん減り、自宅近くの国道も閉鎖された。「まるで脅されているようだった」と振り返る。
 事業認定手続きの公聴会には喪服姿で出席した。「権力の思い通りにはならない」という、せめてもの抵抗だった。事業認定が告示される直前の16年2月、土地の買収に応じる契約を結んだ。
 2階の窓からは建設中の堰堤が見えた。「完成したダムを眺めて、涙を流しながら老後を過ごすさ」と皮肉っぽくつぶやいた。
        
 川原畑の代替地から八ツ場大橋を渡ると、川原湯の代替地に行き着く。県が新たに源泉を掘削。代替地に湯を引き込み、温泉街の移転を可能にした。移転対象は5地区で最も多い201世帯(1980年当時)。「既存の地域コミュニティーを保持できる」というのが「ずり上がり方式」の触れ込みだったが、実際に移ったのは31世帯。人口は4分の1に減った。
 レストランを訪ねると、店主の水出耕一さん(64)が、移転前の川原湯の地図を見せてくれた。地図上の旅館や住宅が赤ペンで塗られている。集落から人が出るたびに塗ったという。

 2001年、水没予定地の住民と国は補償基準に調印したが、難工事で代替地の造成が遅れたことなどが影響し、多くが完成を待たずに故郷を後にした。「昨日まで普通に世間話していた人が、翌日いなくなる。しまいには自宅に戻る道中に家がなくなり、お客さんも来なくなった」。食堂の経営は厳しくなり、一度は休業して、働きに出た。14年末に代替地に移り、店を再開したという。
 20軒近くあった旅館は5軒に減り、03年まで年間20万人近くだった観光客数もここ5年は5万~6万人でかつてのにぎわいには程遠い。「正直、こんなに人が出て行くとは思わなかった。それでも、どんどん人がいなくなり空気がよどむようだったあのころと比べれば」と前を向く。
 川原湯温泉協会の会長、樋田省三さん(54)は「新しい川原湯ができるまで、時間がかかるだろう」と話す。ダム見学ツアーの好調で、にぎわいの兆しも見えてきた。「これから生まれる子どもは、今の川原湯がふるさとになる。彼らが自慢できる町にしなくては」
        
 ダム湖周辺は付け替え道路や代替地の工事が進み、変貌しつつあった。激変するふるさとに割り切れない思いを抱える住民もいる。代替地に住むSさんは、匿名を条件に取材に応じた。
 自宅は、かすかに新築の香りがした。「立派な家ですね」と無意識に出掛けた言葉をのみ込んだ。「役に立つことは言えないと思う」と控えめなSさんに、記者は石木ダムの状況を伝えた。国の事業認定告示後も13世帯が現地で暮らしていること。収用手続きが進み、宅地を強制的に取り壊す行政代執行が現実味を帯びていること。住民らが望みを託した司法もダムの公益性を認めたこと
 聞き終えたSさんは静かに語った。「13世帯の人たちは正しいと私は思う。あの家を諦めて、手放したことが今でも悔しい」
 補償内容の説明に来た国交省職員に「こんな田舎の土地でこれだけのお金は普通出ませんよ」と言われた。「お金で買えないものをお金に換えさせられた。すきま風が吹き、ほこりだらけだったあの家を取り戻せるなら、喜んで全て返すのに」と、膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。
 今も、前の家の夢を見る。目が覚めて新しい天井を見たとき、たまらなく寂しい。カーナビに登録した移転前の自宅をいまだに消すことができない。Sさんが帰りたいわが家は、夢の中か、画面の中にしかないのかもしれない。「こんな気持ち、分からないでしょう」。不意に問い返された。メモ帳に目を落としたまま、記者は何も答えることができなかった。

八ツ場ダム周辺を歩く・1 集落取り壊され跡形なく 長崎新聞 18.10.14

 緑の谷あいを巨大な壁がふさいでいた。高さ116メートルのうち、およそ8割が完成したという。そばのタワークレーンが小さく見えた。群馬県長野原町で国が進める八ツ場ダム。来年度末の完成に向け、建設工事は大詰めを迎えていた。
 見学用に国が整備した展望台にはひっきりなしに人が来た。東京都の男性(34)は「ちっぽけな人間が大自然に建造物を造るスケール感がたまらない」と興奮気味にカメラを向けた。
 国土交通省は、橋やダムなど大型公共施設で普段は立ち入れない現場を公開する「インフラツーリズム」を進める。八ツ場ダムの見学ツアーは昨年度から本格的に始まり、年間約2万9千人が参加。本年度は9月末ですでに3万人を突破した。展望台も開設3年で40万人近くが訪れ、盛況だという。
 堰堤(えんてい)から1キロほど上流にある湖面橋「八ツ場大橋」から水没する谷あいを見下ろした。かつての集落は取り壊され、跡形もない。建材運搬のため活用しているJR吾妻線の旧線路と鉄橋が辛うじて生活の面影を残していた。
 ダム湖の周りには、水没地区の住民のため移転代替地が点在している。橋に近い一角に真新しい一軒家がぽつんと立っていた。「ここしかいい場所がなくてさ」。家主の高山彰さん(65)がそう言って鍵を開けた。ギリギリまで移転を拒んだが、2016年3月に立ち退いた。水没予定地で最後の住民だった。
      
 県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業では、ダムの公益性を訴える県市と「故郷を奪うな」と抵抗する反対住民13世帯の対立が続く。ダム事業は地域に何をもたらし、何を奪うのか。約470世帯が移転した土地で完成を控える八ツ場ダムの周辺を歩いた。

完成が大詰めを迎える八ツ場ダム=群馬県長野原町

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プロフィール

Author:寿
農業情報研究所(WAPIC)=http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/の所長・所員・小使いを兼務。原発事故で「明るい農業・農村」の夢を失った老い先短い老人です。

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