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平成の沖縄

令和へつなぐ 平和の波 沖縄戦追悼「平和の礎」 1995(平成7)年に建立 沖縄タイムス 19.4.30

反戦の信条 継承願う
仲村真さん(63) 県平和祈念資料館友の会

 沖縄戦最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁に「平和の礎」ができたのは1995(平成7)年6月。国籍や民間人の区別なく、全戦没者を追悼する目的で造られ、国内外からの来訪者が絶えない。「世界に向けて平和の波が広がるように」との願いは、令和の時代に受け継がれる。(社会部・國吉美香、新垣卓也) 

 平和の礎の完成を控えた1995年1月、県の遺骨収集事業に参加した県平和祈念資料館友の会事務局長の仲村真さん(63)=浦添市=は、糸満市宇江城の丘にいた。掘り出される土の中から見つかったのは、半世紀にわたって眠っていた戦没者の遺骨や手りゅう弾。「身近な場所に、まだ戦争の跡が残っている」。そう実感したことが、平和ガイドを志す一つのきっかけになった。 

 大手企業のシステムエンジニアとして働いていた2004年、県の平和祈念資料館ボランティア養成講座を受講し、他の修了生らと共に友の会を発足させた。

 戦跡を巡るフィールドワークのガイドを主に務め、定年退職後は礎がある平和祈念公園や資料館も案内している。

 18年6月現在の刻銘者数は24万1525人。伊江島で戦死した予備役軍人の伯父の名前も刻まれた。「激しい軍民混在の地上戦だった歴史を示すのが礎の役目。大きな代償のもとに礎があることを『令和』の時代にも伝えていきたい」と話す。

 「沖縄戦の実相を知れば知るほど、戦争を美化することはできない。礎が、平和を希求する信条を後世に残していくモニュメントになれば」。ガイドの一人としてそう願っている。

聞き取り調査に奔走
比嘉博さん(67) 当時県庁の平和推進係

 1992年、県庁の平和推進係(当時)に、十数箱の段ボール箱が運び込まれた。中身は、県が保管していた16種類にわたる戦没者の名簿の写し。ここから、平和の礎に刻む氏名の調査が始まった。

 当時の係は3人。そのうちの1人、比嘉博さん(67)は「年齢や戦没場所が欠けている人や名前の重複もあり、精査は途方もない作業に思えた」と振り返る。

 90年に県知事に就任した大田昌秀氏は、所信表明で沖縄戦の戦没者全員の氏名を記載する塔の建立について検討する、と述べた。これが後の平和の礎になる。

 戦没者について、大田氏が「どこの誰かを解明し、丁寧に、平等に刻銘する」と、繰り返していたことを比嘉さんは覚えている。それは戦時中、鉄血勤皇隊に動員され、多くの犠牲者を見てきた大田氏だからこそのこだわりに映った。

 93年、役場や民生委員らに協力を仰ぎ、聞き取り調査が始まった。一家全滅の世帯があれば周辺を聞き込み、名前が不明であれば位牌(いはい)を見に行き、確認は徹底したつもりだった。それでも、漏れがないかどうか不安が残った。

 95年、沖縄タイムスと琉球新報に刻銘予定者を公開し情報提供を呼び掛けると、500~千件の情報提供が連日殺到した。「名もないまま死んだ子も」という申告もあった。

 その様を見ていた比嘉さんは、役所や住民、誰もが当事者として礎をつくり上げているのだと実感した。

 当時は戦時中を鮮明に記憶する人が大勢いた。比嘉さんは「今では絶対にできない。あの時代、かつ大田知事がいたからこそ、平和の礎は完成した」と語る。

まつろわず片頭痛克服を 「沖縄と平成、令和」特別評論・松元剛編集局長 琉球新報 19.4.30

 昭和の終わりの4年間、東京の沖縄県人学生寮「南灯寮」で暮らした。平成に代替わりしたころ、官僚試験突破を目指す東大生など10人余の学生サークルと交流する機会があった。官僚になったら、実現したいという沖縄振興策を立案していた彼らから「沖縄のことを学びたい」と招かれた席で、持論を浴びせられた。
 「沖縄は米軍基地を受け入れるべきだ。賛否が割れているから駄目だ」「全国平均の倍の失業率は永遠に改善できるはずがない」「基地の代償として振興予算を引き出し続け、生活すればよい」「自立意識が弱すぎる」
 “上から目線”で繰り出すヤマトの学生の決め付け調の「沖縄論」に反論したが、こちらの論拠の乏しさと心に巣くっていた「劣等感」も災いして議論は全くかみ合わず、悔しさが募った。
 私が入社した平成元(1989)年の沖縄への観光入域客は267万人だったが、30年を経た2018年度の数値は1千万人まであと千人に迫った。外国人観光客だけで300万人を突破する時代を誰が予測しただろうか。2月には県内の完全失業率(20%)が全国平均を初めて下回った。
 第3次産業の比率の高さや県外資本への利益流出など課題は多いものの、沖縄の基地依存経済からの脱却の足取りは加速度的である。隔世の感を覚える県民は多いだろう。
 平成の304カ月を振り返ると、基地問題、政治、経済、文化、社会のどの分野でも沖縄社会は大きな変化を遂げた。沖縄戦で焼け落ちた首里城が復元(92年)し、国籍を超えて戦没者を刻銘する、類例なき鎮魂碑「平和の礎」が建立(95年)されて不戦を誓うシンボルとなった。
 安室奈美恵さんら県出身アーティストの大活躍、高校野球の沖縄尚学、興南の両校の4度にわたる全国制覇など、本土と異なる独自の歴史と文化、沖縄の底力が内外で高く評価され、多くの県民がウチナーンチュとしてのアイデンティティーに誇りと自信を強めた。ヤマトへの「劣等感」は大きく払拭(ふっしょく)されつつある。
 その一方、95年の米兵少女乱暴事件に象徴される過重な基地負担は、県民の尊厳を傷つける古くて新しいとげとして、沖縄社会に突き刺さり続けている。辺野古新基地建設を巡り、大多数の国民が見て見ぬふりをする「人ごとの論理」が、沖縄の民意を一顧だにせず、屈従を強いる日本政府を下支えしている。
 本土との心の距離が広がる中、「国内で沖縄は公平に扱わなくてもいい存在にされ、本土の犠牲になることを拒む『自己決定権』の確立を求める県民意識が強まった」(比屋根照夫琉球大学名誉教授)という指摘は的を射ている。沖縄に日米安保の負担を集中させる「構造的差別」は深まり、治癒が見通せない片頭痛の病因と化して久しい。
 新しい「令和」の世は、沖縄の主体性と創意に彩られた豊かで平和な時代を紡ぎたい。そのためには、深刻な子どもの貧困などの内なる課題にも真摯(しんし)に向き合わねばならない。他者の痛みを受け止めて行動する「肝苦(ちむぐ)りさ」の心を広く共有したいものだ。
 「まつろわぬ民」という言葉がある。大和朝廷への理不尽な服従を拒んだ蝦夷が語源だが、今の沖縄にも通じる。
 試練が続く沖縄には、この国の民主主義が生きているか否かを映し出す鏡の役割も課せられている。まつろわぬ心で民の声を反映させ、沖縄社会に横たわる不条理と片頭痛克服に挑む担い手は、主権者たる県民一人一人である。

<社説>平成の沖縄 基地問題に苦悩し続けた 琉球新報 19.4.30

 平成がきょうで終わる。基地問題に苦悩し続けた平成の沖縄だった。米軍基地の過重な負担を押し付ける構図は次の令和で断ち切るべきだ。

 平成に入って7年目。激動の今につながる起点として忘れてはならないのが1995年から96年にかけての出来事だろう。
 95年9月に発生したのが米兵による少女乱暴事件である。このおぞましい事件を機に、くすぶっていた県民の怒りが噴出、県民大会につながった。県民要求で掲げられたのが日米地位協定の改定、基地の整理縮小だった。
 振り返ると、地位協定は改定されておらず、運用改善もおざなりだ。基地の整理縮小に向けた動きは始まったものの、普天間飛行場の返還も県内移設の条件付きであり、多くの県民が納得できる道筋は示されていない。
 そして少女乱暴事件の前後で進行していたのが大田昌秀知事(当時)の代理署名問題だった。米軍用地の契約拒否地主に代わって署名するよう国から求められ、大田知事は拒否した。国が職務執行命令訴訟を起こすに至り、結果的に96年8月、県は敗訴した。
 米軍基地の前に人権や自治権は踏みにじられ、それが今も続いている。
 事件は後を絶たない。2016年に元海兵隊員の軍属の男がうるま市で女性を暴行し殺害した。そして今月も北谷町で米海軍兵が女性を殺害している。
 事故も相次ぐ。04年に宜野湾市の沖縄国際大学に米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリが墜落した。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、反対の声を押し切って強行配備され、1612月に名護市安部に墜落した。
 元号が平成から令和に変わっても沖縄が置かれる厳しい現実に変わりはない。
 それでも基地から目を転じれば希望と期待の萌芽(ほうが)もあちこちに見られた平成だった。景気の浮き沈みはあったものの、観光は好調で、18年度は1千万人近い人々が来訪した。
 文化面では2000年にユネスコが首里城をはじめとする琉球王国のグスクと関連遺産群を世界遺産に登録した。伝統芸能の組踊も10年、無形文化遺産に登録された。
 芸能面も県出身者らの活躍が目覚ましかった。記憶に新しいのは安室奈美恵さんの昨年の引退だ。県民に自信と勇気を与え、有終の美を飾った。
 スポーツ面では、甲子園で沖縄水産が準優勝、沖縄尚学が優勝、興南が春夏連覇の偉業を達成し、県民を沸かせた。
 女子プロゴルフの宮里藍さんの大活躍も記憶に鮮明だ。バスケットボールBリーグの琉球ゴールデンキングスやサッカーJ2のFC琉球など、プロスポーツチームも次々誕生した。
 令和の時代には、県民の望む方向で基地問題を解決させ、子どもたちが健やかに育ち、その才能を開花させる沖縄を築かなければならない。



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プロフィール

Author:寿
農業情報研究所(WAPIC)=http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/の所長・所員・小使いを兼務。原発事故で「明るい農業・農村」の夢を失った老い先短い老人です。かつての行動派も病魔のために身体不如意、情報提供と批評に徹します。

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