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生き物の命を奪うこと 1億総不感症?(続き)

 生き物を殺してはならない。殺生してはならない。そう言うつもりはない。人は人以外の動植物の命を頂くことで生きている。殺生ならぬでは生きていけない。私自身、殺生がもたらす食物を頂いて生きている。だから、殺生ならぬと言うつもりはない,、というより、言えないのである。

 人は今まで、殺生は避けることができない必然と受け止めながら、自信をもって正当化はできず、殺されるものに負い目を感じ、無闇に面白がって殺生をすることはなく、殺す前、食べる前には必ず許しの祈り、感謝の祈りを捧げてきたのである。

 自家で飼っていた鶏や兎を自家で殺すのが当たりまえであった私の小学生時代、それは自ずと芽生えた感情であり、祈りであった。モンゴルを旅し、羊の命を頂くに際して祈りを捧げる敬虔な遊牧民の姿も目のあたりにした。大学時代の農場実習で豚を屠殺したあと、しばらくは肉を口にすることができなかった。子牛のときから自分のものとして牛を育てたピーターローベンハイム(ニューヨーク・タイムズなどでジャーナリストとして活躍)は、牛がと畜年齢に達したあとも、ついに屠畜に出すことができなかった(私の牛がハンバーガーになるまで―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語)。私も信濃、越後から東北の沢を歩き回り、イワナ釣りに興じてきたが、自分で食する以上は決して捕らず、捕ったイワナは必ず自分でさばき、焼いた。

 今や、屠殺は一般人の目が届かない屠殺工場で行われる。人々は、食べている肉から生き・殺される動物の姿を想像しないし、想像できない。1億総不感症の根源はそこにある。「ピタ・コロリ」が何の違和感もなく受け入れられる根源もそこにあるのかもしれない。

 死刑に関する論議とは無関係?そうだろうか。法務大臣にも、死刑積極派と消極・慎重派があるという。その差はどこからくるのか。生来、殺生とどうかかわってきたのか、その違いもあるかもしれない。

私の牛がハンバーガーになるまで、404頁

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プロフィール

Author:寿
農業情報研究所(WAPIC)=http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/の所長・所員・小使いを兼務。原発事故で「明るい農業・農村」の夢を失った老い先短い老人です。かつての行動派も病魔のために身体不如意、情報提供と批評に徹します。

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